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日语版论语衛靈公第十五 Confucian Analects Les Entretiens de Confucius Confucius' Analects in Latin

论语日语版

季子第十六



一 季氏、将に*臾(せんゆ)を伐(う)たんとす。冉有(ぜんゆう)・季路、孔子に見(まみ)えて曰わく、季氏、将に*臾に事あらんとす。孔子の曰わく、求よ、乃(すなわ)ち爾(なんじ)是れ過(あやま)てること無からんや。夫れ*臾は、昔者(むかし)先王以て東蒙(とうもう)の主と為し、且つ邦域の中に在り。是れ社稷(しゃそく)の臣なり。何を以てか伐つことを為さん。
 冉有が曰わく、夫(か)の子これを欲す。吾れ二臣は皆欲せざるなり。孔子の曰わく、求(きゅう)よ、周任に言あり曰わく、力を陳(の)べて列に就き、能わざれば止(や)むと。危うくして持せず、顛(くつがえ)って扶(たす)けずんば、則ち将(は)た焉(いずく)んぞ彼(か)の相(しょう)を用いん。
 且つ爾(なんじ)の言は過まてり。虎*(こじ)、*(こう)より出(い)で、亀玉(きぎょく)、*(とく)中に毀(こわ)るれば、是れ誰の過ちぞや。冉有が曰わく、今夫れ*臾は固たくして費に近かし。今取らずんば、後世必ず子孫の憂いと為らん。孔子の曰わく、求よ、君子は夫(か)のこれを欲すと曰うを舎(お)いて必ずこれが辞を為すことを疾(にく)む。丘(きゅう)や聞く、国を有(たも)ち家を有つ者は寡(すく)なきを患(うれ)えずして均(ひと)しからざるを患え、貧しきを患えずして安からざるを患うと。
 蓋(けだ)し均しければ貧しきこと無く、和すれば寡なきこと無く、安ければ傾くこと無し。夫れ是(か)くの如し、故に遠人(えんじん)服せざれば則ち文徳を修めて以てこれを来たし、既にこれを来たせば則ちこれを安んず。今、由と求とは夫(か)の子(し)を相(たす)け、遠人服せざれども来たすこと能わず、而かして干戈(かんか)を邦内に動かさんことを謀る。吾れ恐る、季孫の憂いは*臾に在らずして蕭牆(しょうしょう)の内に在らんことを。


二 孔子の曰わく、天下道有れば、則ち礼楽征伐、天子より出(い)ず。天下道なければ、則ち礼楽征伐、諸侯より出ず。諸侯より出ずれば、蓋(けだ)し十世にして失なわざること希(すく)なし。大夫より出ずれば、五世にして失なわざること希なし。陪臣国命を執れば、三世にして失なわざること希し。天下道 有れば、則ち政は大夫に在らず。天下道あれば、則ち庶人は議せず。


三 孔子の曰わく、禄(ろく)の公室を去ること五世なり。政の大夫に逮(およ)ぶこと四世なり。故に夫(か)の三桓(さんかん)の子孫は微なり。


四 孔子の曰わく、益者(えきしゃ)三友。直きを友とし、諒(まこと)を友とし、多聞を友とするは、益なり。便辟(べんへき)を友とし、善柔を友とし、便佞(べんねい)を友とするは損なり。


五 孔子の曰わく、益者 三楽(さんらく)、損者三楽。礼楽を節せんことを楽しみ、人の善を道(い)うことを楽しみ、賢友多きを楽しむは、益なり。驕楽(きょうらく)を楽しみ、佚遊(いつゆう)を楽しみ、宴楽を楽しむは、損なり。


六 孔子の曰わく、君子に侍するに三愆(さんえん)あり。言(げん)未だこれに及ばずして言う、これを躁(そう)と謂う。言これに及びて言わざる、これを隠と謂う。未だ顔色を見ずして言う、これを瞽(こ)と謂う。


七 孔子の曰わく、君子に三戒あり。少(わか)き時は血気未だ定まらず、これを戒むること色に在り。其の壮なるに及んでは血気方(まさ)に剛なり、これを戒むること闘(とう)に在り。其の老いたるに及んでは血気既に衰う、これを戒むること得に在り。


八 孔子の曰わく、君子に三畏(さんい)あり。天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言を畏る。小人は天命を知らずして畏れず、大人に狎(な)れ、聖人の言を侮る。


九 孔子の曰わく、生まれながらにしてこれを知る者は上(かみ)なり。学びてこれを知るものは次ぎなり。困(くるし)みてこれを学ぶは又た其の次ぎなり。困みて学ばざる、民斯れを下(しも)と為す。


一〇 孔子の曰わく、君子に九思あり。視るには明を思い、聴くには聡を思い、色には温を思い、貌(かたち)には恭を思い、言には忠を思い、事には敬を思い、疑わしきには問いを思い、忿(いかり)には難を思い、得るを見ては義を思う。


一一 孔子の曰わく、善を見ては及ばざるが如くし、不善を見ては湯を探る如くす。吾れ其の人を見る、吾れ其の語を聞く。隠居して以て其の志しを求め、義を行いて以て其の道を達す。吾れ其の語を聞く、未だ其の人を見ず。


一二 (孔子の曰わく、誠に富みを以てせず、亦た祗(ただ)に異を以てす。) 斉の景公、馬 千駟(せんし)あり。死するの日、民徳として称すること無し。伯夷・叔斉(はくい・しゅくせい)、首陽の下(もと)に餓う。民今に到るまでこれを称す。其れ斯(こ)れをこれ謂うか。


一三 陳亢(ちんこう)、伯魚(はくぎょ)に問うて曰わく、子も亦た異聞ありや。対(こた)えて曰わく、未(いま)だし。嘗(かつ)て独(ひと)り立てり。鯉(り)趨(はし)りて庭を過ぐ。曰わく、詩を学びたりや。対たえて曰わく、未だし。詩を学ばずんば、以て言うこと無し。鯉退りぞきて詩を学ぶ。
 他日又た独り立てり。鯉趨りて庭を過ぐ。曰わく、礼を学びたりや。対たえて曰わく、未だし。礼を学ばずんば、以て立つこと無し。鯉退りぞきて礼を学ぶ。斯の二者を聞けり。陳亢退ぞきて喜びて曰わく、一を問いて三を得たり。詩を聞き、礼を聞き、又た:君子の其の子を遠ざくるを聞く。


一四 邦君(ほうくん)の妻、君これを称して夫人と曰う。夫人自ら称して小童と曰う。邦人これを称して君夫人(くんふじん)と曰う。異邦に称して寡小君(かしょうくん)と曰う。異邦の人これを称して亦た君夫人と曰う。

日语版论语陽貨第十七 

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